(ISEPメルマガSEENに掲載)
土曜日(12月19日)の夕方にまでずれ込み、最後の最後まで紛糾をしたCOP15は、「コペンハーゲン・アコード」と呼ばれる本文3ページの文書を「留意(take note)する」ことで落ち着いた。この文書に対して否定的な声が大きいが、「新しいゲームの始まり」と、あえて前向きに捉えたい。
「コペンハーゲン・アコード」では、2℃の制約を認識し、早期のピークアウトを目指すことが明記された。また先進国は、2020年までの中期目標を2010年1月末までに国連に申告し、途上国も一定の透明性の下で削減を目指すことを1月末に申告する。REDD(途上国の森林減少に伴うCO2排出の削減)とその支援への言及、炭素市場を示唆する「コスト効果的なさまざまなアプローチ」などの他、焦点となった「途上国への短期的な資金支援」については、2010〜2012年で300億ドル(約2兆7千億円)を約束し、「長期的な資金支援」については、「途上国の削減取り組みと透明性」を条件に、2020年までに官民合計で1000億ドル/年規模と記載されている。これらのため、先進国と途上国が対等な多国間基金の設置すること、「コペンハーゲン・グリーン気候基金」(これが前記と同じかは不明)と技術移転のための新しい「技術メカニズム」というキーワードが入った。そして、2015年に「1.5℃制約」の必要性を含めた包括レビューが行われる。
これらの条件やキーワードを下に、来年2010年にメキシコで開催されるCOP16で、新しい枠組みが決まるとされている。
こうしたCOP15の結果に対して失望の声が大きいが、これは事前の期待が高すぎたからではないか。じつはCOP15が始まる前に、すでにゲームは変わっていたのだが、そのことを十分に認識できていなかったのではないか。つまり、直前のAPEC会合(11月16日、シンガポール)で、ラスムッセン・デンマーク首相が「2ステップ〜コペンハーゲンでの政治約束を第1歩とし、その後に新しい枠組みとする」を提案し、それをオバマ(米国)や胡錦濤(中国)が歓迎したところで、新しいゲームは始まっていた。
批判の多くは「法的拘束力がない」という指摘だが、これは本質的ではない。むしろ、アメリカ・中国という2大排出国を含む、ほとんど主要排出国がコペンハーゲン・アコードにコミットしている。この先、国際社会の監視の中で、アメリカも中国もその他の国も、もはやコペンハーゲン・アコードの「責任」からは逃れられない。従来の京都議定書が生んできた2つの対立(先進国vs途上国、アメリカvsそれ以外)を包み込み、それを越えた「新しいゲーム」の第1歩がコペンハーゲン・アコードだと見るべきであろう。
むしろ、この二週間の流れを見ると、「国連」というシステムの機能不全を痛切に感じる。寒風の中で2日間もそれぞれ7時間以上も行列に待たされたお粗末なロジ、一部の人にしか理解できない「気候交渉エリート」が操る難解な「業界語」と複雑怪奇なルールや仕組み、2週間のほとんどを消耗した議論の迷走と最後の最後での混乱などによって、いったんは「コペンハーゲン合意」が消えかかり、最後の瞬間にも「ゴミ箱入り」する寸前に陥った。これを救ったのは、やはり「オバマ・マジック」だった。
この先、気候変動の議論を気候交渉エリートの「空中戦」に留めることなく、「議論から行動」(オバマ米大統領)に移していくためには、「国連官僚主義」を脱し、G20や(今回は詳報できなかったが)非常に評判の高かったカリフォルニア州や東京都など地方自治体のイニシアチブなどを活かしていく、国際政策決定のあり方も再構築する必要を強く感じる。 そうした面を含めて、市民社会は、自らの力量を高め、監視し、参加し、提言し、自ら行動を起こすことが求められいるのではないか。
(2009年12月20日@コペンハーゲン)
コメント